この人なしで、わたしの人生は語れない

   

昨日は、2年前の10月頃に書いた非公開の記事を読み直した。

2年前の10月と言えば、

父親を看取り母親の介護を弟夫婦に委ね無職のまま過ごしていた頃だった。

 

遡ることその半年前、母親の介護の為に田舎に戻る決心をして、花の仕事を辞めた。

花の仕事は大変だったが、それなりに楽しんでいた。

その頃はまだ独身でパートで生計を立てていたが、事態は深刻だった。

 

「身内を介護するのは、大変なこと、並大抵の覚悟では出来ない」

それは万民が思う事実だ。

だけど、

「もう時間がないかもしれない」

そんな気もしていた。

 

 

 

交通事故で要介護5、車椅子生活の母とがんで闘病中の父親と一緒に暮らした半年間だった。

思ったとおり大変だった。

兄弟間の争いや親との確執など、経験したくない事に遭遇したのも一度や二度ではなかった。

 

それでも、老人福祉のいろはも技術も何もないのに、

兄弟の中で一番の親不孝者と自認するわたしの精一杯の親孝行だった。

とにかく傍にいたかった。

 

密着した距離感で泣いたり笑ったり怒ったり、

恥ずかしながら、どこに行っても喜怒哀楽激しく・・・。

思い出すと今だに涙がでてくる。

父と母とわたしと親子水いらずの時間はたった半年間であったが、

ほんとにかけがえなくありがたいものだった。

その父親はもういない。

 

 

半年後、治るはずの父親は他界し、長男夫婦が母親と同居することになり、

わたしは関西に戻ってきた。

 

住まいは、夫が用意してくれたのを再び使わせてもらった。

元夫婦というだけで、その時はまだ他人同士ではあったけれど、

夫からの物心両面でのバックアップが大きな道しるべになっていた。

 

 

夫は、わたしに

「4人の子供達の母親はお前だけだから」

といつも言っていた。

形はどうであれ、親であることに変わりは無い。

時間はかかるかもしれないが母子の絆を取り戻す橋渡しに協力を惜しまない。

わたしは、素直にありがたくそれに甘えた。

中途半端にプライド高い自分にしては珍しいと思いながらも

4人の子の父親と母親だという「親」としての共通点が、わたしには心地よかった。

そして、わたしにはそれが世界で一番大切なことなんだと改めて思い知った。

 

田舎に帰る決断をした時も、

「しっかり親孝行して、またここに帰って来い」

「戻るところはここだから」と言ってくれた。

おぬしは聖人君子か。

負けた。

勝てない。

この人無しで、わたしの人生は語れない。

そう思った瞬間だった。

 

 

 

部屋のベランダからは海が見えた。

朝日におはようといい、丸い水平線と平行に移動する船を眺めた。

とんびはぐるりと輪を描き、カモメは波の花のように群れていた。

 

 

ブログを閉鎖したのはそれからしばらくしてからだった。

 

 

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