記憶の最後にのこるもの
2018年4月22日

生まれた家は四角いコンクリートの1階建。
うちっぱなしのコンクリートがむき出しだった。
うちっぱなしといえば、いまでこそおしゃれに思えるが、
それとは、おおよそ似つかない貧弱で貧しい建物だった。
わたしの父と母は、早くに両親を無くし親戚の家で大きくなった生い立ちが共通していた。
当時は外壁をペンキ塗りの家や、日曜日ずっと家に居るサラリーマン一家が羨ましかった。
家族旅行という言葉すら知らなかったのではと思う。
うちを入れて5件の小さな集落で遊び友達は近所の年の近い人。
用水路のような小さな川は大雨が降れば水かさが一気に増し危なかった。
細い農道を隔ててため池があって、もちろん柵なんかない。
「ホテイアオイ」という水草が、溢れるように育っており花の時期には水面が青色に染まった。
そんな近くで犬と一緒に走りまわった。
頭は母親に刈ってもらう。
ヘアスタイルは、有名デザイナー真っ青の超おかっぱ。
足元はゴムぞうり・・・
石蹴りすると時々血がでたが、「あした天気になあれ」のお天気占いには
ことのほか便利な履物だった。
蒸し暑い夏の夜は、芝生の庭に寝転がり背中をちくちくと刺すしばふの意地悪さを気にもせず、
降るような星空をながめた。
大粒の流れ星を数えながら、いつか星はなくなると思っていた。
頭に浮かぶ空の色は真っ青で海は緑色、
真っ赤なハイビスカス、サンタンカにブーゲンビリアも赤、真っ赤なデイゴと
どれもこれも赤い花色ばかり。
赤という色は南の島の花の強さを象徴しているのかもしれない。
生まれてからの50年の記憶をたどればいくらでも出てくるが、
それが全てそうだったかはわからない。
きっと、自分の都合のいいように省略したり脚色したりで今に至っているのだから、
正しい記憶かどうかを検証するのは無意味だ。
でも、年老いて徐々に記憶をなくしてしまったなら、最後に残っている記憶はそんな島のことだろうなあとは思う。
4月後半、亜熱帯の島の道端でゆれているのはきっとあの赤いハイビスカスだ。
サンタンカと一緒に。
所代わり、
南の島から1000キロメートル以上離れたこの街。
梅は散りさくらは葉になり・・・
今は淡い紫色の藤が咲いているという。
花の季節のサイクルの早い事。
次から次とノンストップで歩いて歩いてターンして・・・
一言もしゃべらないのに、存在感たっぷりのパリコレのモデルさんみたい。
綺麗にそぎ落とされた隙のない華かさ、だれもが一瞬で目を奪われ拍手喝采。
道端のハイビスカスの無防備さとはまた違う趣だ。
どっちも大好きだからこんなに嬉しい事はない。
舞妓さんのだらりの帯と花の長さの分だけゆれるかんざしを想像して、今日は藤のお花見だ。
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