自分をさらけだすのは怖い

ある日突然、稲妻に打たれたように言葉が身体に刺さる瞬間が、

もしかしたら人にはあるのかもしれない。

水も光も風も昨日と全く違わない環境で、どうしてこんなに見える景色が変わるのか、

不思議でたまらない。

でも、確かにある。

 

その答えは1冊の本の中にもあった。

一時期かなり話題になっていたので、本のタイトルは知っていた。

 

 

例えば、ある人がとても不幸な人生だと嘆いているとすれば、

それは、間違いなくそういう人生を自分で選択しているという事実があるからで、

「変わりたい」と願いながらも、人は常に「変わらない」という決心をしている。

からに他ならないという。

 

本を読みながら、私は自分の「今」を考えた。

スーパーの仕事をしている。

仕事は好きだ。

特に青果という分野は野菜や果物を扱うからであるかもしれない。

野菜は自分で育て家族で食するという程の情熱のいれようだ。

 

その、仕事の分野で最近どうにもこうにも不公平感が募ってしまっている。

その小さな不平を不満を自分の胸から外に吐き出せず、当然直属の上司にも話せず、

一人で悶々としている。

 

同じような仕事量なのにどうして1時間以上の差がでるのよ。

終いには、いっそ、出来高制にしてくれないかなあとおごった感覚まで出没してしまっている。

なんて、嫌な女だ。

 

わたしは同僚パートさんが嫌いではない。

むしろ好きで仲良くしていきたいが自分の気持ちの大半を占めている。

 

しかも、わたしの中では、他人の仕事ぶりを勝手に評価して改善を求める行為は、

お前にはできないししてはいけない行為だと耳元でささやく声が聞こえてくる。

それってただの告げ口ではないの。

そうなると、自分に何らかの不利益があるのは確実でこのまま不公平感を抱きながら

仕事だと割り切ってやり過ごすのが一番賢いのだとはよくわかっている。

 

わたしは、知恵も能力もやりすごす力さえ、ほんとは少しもない。

自分をさらけ出すのが怖い。

ただそれだけの臆病者なのだ。

 

 

最近は仕事が終わっても一日のやりきった感もなく、ただ疲れたなあの焦燥感ばかりが際立っている。

楽しい仕事のはずなのに・・・。

嫌われる勇気がわたしにはないだけの話だ。

その現実を選択して決定しているのも、ああ・・・やっぱり自分なのだ。

 

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